「働き方改革」が「働き方改悪」に変わるとき
逆行する日本社会の死角とは
◆転勤しなければ低賃金でもOKの罠
私は、このような家事労働無視の長時間労働を標準的な働き方とする制度設計や、家事を抱えた働き手の低労働条件を「家事労働ハラスメント(家事労働と、これを抱える働き手に対する嫌がらせ)」と呼んでいる。今回の働き方改革は、「高度プロフェッショナル制度」に見られるように、こうした「家事ハラ」が至るところに顔をのぞかせる。
同一労働同一賃金論議では、「欧州でも(中略)キャリアコース等の違いは同一労働同一賃金の例外として考慮に入れられている」(2月19日衆議院予算委員会首相答弁)と首相が語り、転勤の有無をはじめとする雇用管理の違いによる賃金格差は、容認されそうな雲行きだ。日本ではすでに、2008年施行の改正パート労働法で正社員とパートの賃金差別を禁止し、2012年の改正労働契約法で、有期労働者に対する不合理な賃金格差を禁止している。ここでも、転勤の有無などの雇用管理の違いによる賃金差は合理的とされている。だが、女性が低賃金の非正規雇用に押し流されていったのは、「背後に家事労働を担う働き手」がいると想定された正社員に課される、頻繁な全国転勤や長時間労働を引き受けられなかったことが大きな原因だったはずだ。
そんな中で、同一労働同一賃金制度でも転勤の有無による賃金格差を認めてしまえば、転勤のできないシングルファーザーを含め、家事・育児・介護を担う労働者の不利な状況は、むしろ固定化される。
それどころか、低賃金の非正規労働を温存したい企業が、仕事内容は同じかもしれないが、非正社員は転勤がないからと正社員の転勤義務を強めることも考えられる。そうなれば、男性正社員のさらなる過酷労働化を招き、女性はますます正社員に参入しにくくなり、女性活躍どころではなくなる。
日本の働きづらさを改善するには、家事も担う等身大の労働者を、基本に据え直すことだ。「主婦に支えられて会社のいうままに働ける働き手」から、「家事を担い、家庭の都合を主張する働き手」へと標準労働者像を設定し直す必要がある。具体的には、女性が一手に担ってきた家事労働を、①企業が「毎日の家事時間」を想定した1日8時間労働規制の順守によって、②行政が、女性が家庭で抱えてきた育児・介護を支える公的サービスの強化へ向けた財政の配分見直しによって、③男性が、労働時間短縮を生かした家事・育児分担によって、三者で分け持ち、女性が外で働ける枠組みをつくることが一歩だ。
さらに、④一日最大8時間働けば単身でも経済的自立ができる産業構造への転換によって単身男女の経済力を強化し、男性の家族扶養負担を軽減することだ。
家事労働は、生を支える労働だ。日本の働きづらさを真に正すため、こうした見えない労働を蔑視・排除する「家事ハラ」脱却の視点からの「働き方改革」に期待したい。